村上龍と村上春樹、年齢も近く(春樹のほうが3歳上)、どちらも群像新人文学賞でデビューしている(龍のほうが3年早い)ので、一時期はふたり合わせて“両村上”や“ダブル村上”と呼称されていることもあった。
そんなふたりだが、春樹の著作は小説も含め少しづつKindle化されているのに対し、龍の著作はエッセイの「すべての男は消耗品である」以外Kindle化されていない。
ついに悲願が叶う! 村上春樹 初期3部作「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」がKindle化に!
電子書籍化されていないわけではない
村上龍は本の電子書籍化に反対の立場であるのか、というと、そんなわけではない。
むしろ逆で、自分で電子書籍の会社を立ち上げてしまうほどだ。
その電子書籍会社、株式会社G2010(ジーニーゼロイチゼロ)のウェブサイトの会社紹介ページには、彼のこんな言葉が記されている。
2010年2月、故スティーブ・ジョブズ氏が、「iPad」という画期的なデバイスのプレゼンテーションを行った。 その映像を見たとき、わたしはちょうど『歌うクジラ』という長編小説を脱稿したばかりで、稲妻に打たれたような衝撃を味わった。 「このiPadで君の新しい小説を発表したら?」ジョブズ氏がそう言っているような気がしたのだ。
その結果、「歌うクジラ」は紙の本として出版される前に、iOSアプリとしてリリースされることになった。
村上龍 歌うクジラ – G2010 Co.,Ltd.
電子版「歌うクジラ」は開く(起動する)と坂本龍一の音楽が流れ、篠原潤の表紙や挿絵はアニメーションになっているという、今見ても画期的なものであった。
この村上龍初の電子書籍(?)の凝りようからも、彼が電子書籍反対派どころか超推進派であることが分かる。
その後、処女作である「限りなく透明に近いブルー」がアプリ化された以降は、日本でもストアが始まったiBooksで次々と電子書籍化されている。
なぜKindleではないのか
ではなぜ、KindleではなくiBooksなのだろうか。
ひとつには、村上龍が自らの著書の電子書籍化に動きだした時点では、まだKindleが日本語に対応していなかったことがあるかもしれない。
しかし一番の理由は、先に引用した彼自身の言葉にもあるように、彼がAppleユーザーであることではないかと思う。
彼はやはり、iPadで自著を読めるようにしたかったのではなかったか(今となってはKindleアプリを使えばiPadでも読めるんだけど…)。
彼がApple製品にどれだけ思い入れがあるかは、以下の動画を見ても分かる。
https://youtu.be/SqYfEcrX6K0
ちなみにこの「村上龍RVR龍言飛語」は、まだ今ほどYouTubeが一般的でなく、当然YouTuber(ユーチューバー)などという言葉がない時代から、彼が動画メディアを使って社会問題や国際問題、選考委員になっている芥川賞の選考過程などを語るという画期的なものだった。
僕が頻繁にYouTubeを見るきっかけになったものでもある。
もう何年も更新されていないのが、ほんとうに残念だ…
電子書籍といい動画メディアといい、村上龍は常に時代の一歩も二歩も先を行ってるのかもしれない(少し先に行きすぎかも…)。
まとめ
そんなわけで、村上龍の小説もiBooksを使って電子書籍で読めることが分かった。
ただ問題は、iPhoneやiPadなどApple製品でないと読めないということ。
Android端末やKindle端末で彼の小説を読むことはできない(自炊すれば読めるけど…)。
Appleに対するこだわりは分かるけど、そろそろKindle化して欲しいな…
個人的に村上龍でオススメは「希望の国のエクソダス」。
小池百合子東京都知事が先日(2016/10/30)、小池塾の冒頭で言った “東京には、日本には、ありとあらゆるものがあります。しかしそこに、ひとつ足りないもの、それは希望ではないでしょうか” は、この作品の一節 “この国には何でもある。だが、希望だけがない。” の引用だ。
ヒキコモリの中学生がインターネットを駆使して独立国家を創るというこの物語は、18年前に書き始められたとは思えないほど、現在の社会を活写している。
今だからこそ読み返したい作品だ。
そういえば宇多田ヒカルもこの作品のファンで、全米デビューアルバムのタイトルが「EXODUS」だった。
それくらいファンが多い作品ということだ。
同じ主人公で、今度は老人問題をテーマにした(?)続編もある。
[文中敬称略]
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