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難解な物語 村上春樹の短編「納屋を焼く」


長編は新潮文庫でKindle版がリリースされた時に、あらかた購入した。
短編はいくつか買い漏れがあったので、50%ポイント還元セールのタイミングで購入した。
そして何年ぶりかに読んでみると、とても難解な物語であることがわかった。
村上春樹の短編集「螢・納屋を焼く・その他の短編」に収められている「納屋を焼く」だ。

もう40年近く前に出版された短編集なので、いまさらだと思うが、これ以降ネタバレが含まれていることを、一応お断りしておく。

「納屋を焼く」あらすじ

31歳で既婚者の僕は、共通の友人の結婚パーティーで20歳の女性と知り合う。
それ以降、僕と彼女は月に1~2回会う。
彼女はパントマイムを習っていて、「蜜柑むき」をみせてもらう。

父親の遺産が入った彼女は、北アフリカに出かける。
3ヶ月後に彼女は現地で知り合った、貿易の仕事をしている日本人の彼を連れて帰ってくる。

妻が出かけている10月の日曜日、彼女と彼が僕の家にやってくる。
3人でひとしきり飲み食いしていると、彼が大麻を勧めてくる。
やがて酔った彼女は眠いと言ったので、2階の寝室で寝かせる。

彼と2本目の大麻を吸っていると、僕は小学校の時の学芸会を思い出す。
そんな僕に彼は、納屋を焼く話をする。
彼は時々他人の納屋に火を付けているという。
今日も次に火を付ける予定の、僕の家の近くの納屋の下見に来たのだという。

次の日、僕は家の近くの納屋を探す。
16件の納屋のうち、燃えても差し支えのない5件の納屋に的を絞る。
5件の納屋をめぐるルートをジョギングコースにして、僕は毎朝納屋を確認する。
しかし納屋が燃えた気配がない。

12月のなかば、クリスマスの買い物をしていた僕は、彼の車を偶然見かける。
車が止まっている喫茶店に入ると、彼がいたので僕は同席する。
納屋のことを尋ねると、彼は僕の家に来た10日ばかり後に焼いたという。
彼女の話になると、彼も僕もあれから会っていないという。
アパートにもいないし、電話も通じない、パントマイム教室にもずっと出ていないらしい。

僕も彼女に電話し、アパートまで訪ねたが彼女はいなかった。
「連絡してほしい」という手紙を郵便受けに放り込んだが返事はない。
次にアパートに訪れた時、アパートには別の住人の名札がかかっており、ノックしたが誰も出てこない。
1年近く前の話…

僕はいまだに5つの納屋をめぐるコースを、毎朝走っている。
夜の暗闇の中で、僕は時折、焼け落ちていく納屋のことを考える。

「納屋を焼く」の不明点

素直に読めば、僕と彼の共通の知人である彼女が謎の失踪を遂げる、となる。
しかし「蜜柑むき」や「学芸会」など不思議な話が多く、単純に失踪事件ではなさそうだ。

蜜柑むき

彼女が僕に披露するパントマイム。
あるはずのない蜜柑を剥いて食べる動作を何度も繰り返す。
10分20分僕はそれを見ていると変な気持ちになり、密室に閉じ込められて少しずつ空気を抜いていく刑を思い出す。
彼女は「そこに蜜柑があると思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ」という。
その言葉を聞いて、僕は「まるで禅だね」と答える。

禅…

北アフリカ

父親の遺産を手に入れた彼女は、それを資金に北アフリカに行くという。
僕はアルジェリア大使館に勤めている知人の女の子を彼女に紹介する。
彼女は3ヶ月アルジェリアに行くことになる。

20歳の女の子が、ヨーローッパやアメリカならともかく、なぜ北アフリカなのか。
アルジェリアといえば、僕は映画「セーラー服と機関銃」で主人公の薬師丸ひろ子が歌っていた、「カスバの女」という古い歌を思い出す。
「ここは地の果てアルジェリアヤ」という歌詞がある。
アルジェリアは地の果ての象徴か…

無精髭

2人が僕の家を訪ねてきた時、彼は “以前あった時と少し印象が違うような気がした” “それは少なくとも二日間はのばした無精髭のせいだった。”。

アルジェリアから帰ってきたときでさえ、“いつもきちんとした身なり” の彼が、2日間も無精ひげをのばしていたのはなぜか…

小学校の学芸会

彼と2人でラリっている時、僕は小学校の学芸会の芝居のことを思い出す。
僕は手袋屋のおじさんの役で、手袋を買いにきた子狐を追い返す。
「でもお母さんがすごく寒がってるんです。あかぎれもできてるんです」という子狐を、それでも追い返す悪役だ。

子狐が手袋を買う話は、おそらく新美南吉の「手袋を買いに」だろう。
「手袋を買いに」は、子狐が自分の手袋を買いに行く話だし、間違って人間の手ではなく狐の手を出してしまった子狐に、帽子屋のおじさんは手袋を売ってあげる話だ。
話が変わっている…

モラリティー

彼はモラリティーを信じているという。
モラリティーなしに人間は存在できない、モラリティーとは同時存在だともいう。
「責めるのが僕であり、ゆるすのが僕です。それ以外に何がありますか?」とも。

モラリティーとは、道徳性・倫理性のこと。
道徳性や倫理性が同時に、責めるのもゆるすのも同時に存在する意味とは…

喫茶店

クリスマスの買い物の途中、僕は喫茶店の前に止まっている彼の車を偶然みかける。
僕の家に来た時には、“しみひとつない銀色のドイツ製のスポーツ・カー” が “左のヘッドライトのわきに小さな傷が付いている。”。
店内にいた彼は 眼鏡が白く曇るほど暑かったにもかかわらず、黒いカシミアのコートを着たままで、マフラーもとっていなかった。
同席した僕を迷惑がることはなかったが、彼は何か別のことを考えているようだった。

僕の家に来た時の無精髭から、車の傷、暑い店内でコートやマフラーをしたまま、別のことを考えている彼の変化の意味は…

「納屋を焼く」は結局わからない

気になる点をザッと書き出してみたが、これで何かが分かるわけでもなかった。

ひとつの仮説としては納屋=彼女、つまり彼が彼女を殺した、というのが成り立つ。
彼の退廃ぶりも、それが理由かもしれないが、それですべて辻褄が合うわけでもない。

特に最後の一文、「夜の暗闇の中で、僕は時折、焼け落ちていく納屋のことを考える」が気になる。
この文章を素直に読むなら、“夜の暗闇の中” にいるのは “焼け落ちていく納屋” ではなく、“僕” ということになる。
ならば、むしろ僕と彼は同時存在で、責める存在とゆるす存在ということか。

そうすると、まるで映画「ファイト・クラブ」のような話になってくる。
思考は深まるばかりだ…

まとめ

僕はこの短編集を買った時、タイトルは「螢・納屋を焼く・その他の短編」ではなく、「螢、納屋を焼く。その他の短編」だと思っていた。
つまり、蛍の灯りで納屋を燃やす話と他の短編だと思っていたのだ。
実際には「蛍」と「納屋を焼く」は別の物語だった。
「村上春樹全作品 1979〜1989 ③」に付いている「『自作を語る』短編小説への試み」によると、そう思った人も多かったらしい。

その後「蛍」は、長編「ノルウェイの森」になり、村上春樹は誰もが知る人気作家になる。
短編から長編になることは、特に初期の村上作品には多く、「街とその不確かな壁」(短編集未収録)は「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」になり、「ねじまき鳥と火曜日の女たち」は「ねじまき鳥クロニクル」になった。

前述の「『自作を語る』短編小説への試み」の中で、村上春樹は “僕はときどきこういうものすごくひやっとした小説を書いてみたくなる。”と書いている。
確かにミステリー小説のように、一瞬はひやっとするが、よく考えるとどんどん深みにはまって行き、出口が見えなくなる不思議な小説だ。

初めて読んだ40年前の僕は、いったいどういった感想を持ったのだろうか…

[文中敬称略]

螢・納屋を焼く・その他の短編
村上春樹

 
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